
★弟子道はある★
徳島(発心)のお遍路をしました。秘教学の本を読んで読んで、線をひきまくって、考えまくっても分からなかったことは、一瞬にして身体をつかった経験から知恵となり、いろいろと腑に落ちた日々でした。
リトリートではなく修行だから、知っている人は誰もいません。一人で全て背負い、一人で黙々と歩きます。逃げ出しても、ずるしても、自分だけしかわかりません。
でも、一人ではない。弟子道は一人で歩くのではない…と分かった瞬間がありました。足の痛みが限界なのに、終わりが見えない道のうえで、それでも一歩を踏み出すなかで。
アデプトであった空海が慈悲と共に歩いた道は、途方もなく広大で、弟子として生きることの覚悟を問われますが、一歩を踏み出すたびに、見守られ導く存在は確かにいる…と感じます。頭ではなく、体験で感じられて、ほんとよかった。
弟子道はある…と感じたとき、一人ではないことに気づき、
私の孤独は癒されました。
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道は、知りそして導く方々によって投げかけられる日の満ち溢れた光のもとで歩まれる。そこでは何も隠すことはできず、曲がり角ごとに人は自分自身に直面しなければならない。~「グラマー」より
この「知る(悟る)」という言葉は、イニシエートが実験と体験と表現を通して得た確かな知識を意味する。~「キリストの再臨」より