献身、そして道というグラマー


物質主義、感傷に引き続き、「献身のグラマー」と「道というグラマー」です。物質主義の生き方も卒業したし、情愛にも惑わされません……を生きたら、次に現れるグラマーは、まさに秘教学を学ぶ人に多い、この二つのグラマー。

「私は大師に献身的である」とか「私は秘教の道を歩くんだ」とか。秘教学だけではなく、「何かを極めたい」と思う人にあるグラマーかもしれません。その極めたい…ところにあるアストラルグラマーは「美しい」のが特徴です。

私自身、秘教学を専門にしてるので、このグラマーに惑わされそうになります。「秘教学のカリスマ」と思われるように、いかに献身的に秘教学を頑張っているか!をアピールするような…。 そんな自分をみつけたとき、私は秘教学以外の本を読んだり、芸術や旅などで、大切なのは教えではなく、「自分の魂にふれているか」を確認します。あと、投稿もさぼったり…(笑) 

一番大切なことは、外にはなく、自分の内にだけある。さらにいえば、一番大切なことは、自分の魂が知っている。教えやメソッドが、最も大切なことじゃない。
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献身のグラマーは、多くの見習の弟子たちに欲求の世界をさまよわせ遠回りをさせる原因である。…強力な欲求は、それが広いビジョンをかき消し、自らの献身という感傷を満足させたいという自らの欲求の小さな円の中に自らを閉じ込めているならば、他のどのようなグラマーとも同じように妨げでしかない。しかも、結果として生じる霧の色彩が美しいため、より危険でさえある。人は自ら作った熱狂的な霧の中で道に迷ってしまうのである。それは自らのアストラル体から発するものであり、自らの注目を引き付けた対象に対する自らの欲求と献身に関する自分の性質を感傷的にすることから生じる。

道というグラマーは、プライド、救世主コンプレックス、奉仕コンプレックス、そして人が道で出逢い、彼の進歩を妨げ、人々に対して彼が行うべき奉仕を台無しにするリアリティの様々な歪曲、これらによって起こる弟子の失敗について研究しなさい。…利己的に解釈された高い熱誠、自己中心、自己犠牲、自己攻撃、霊的な仕事での独断、これらの道というグラマーによって、魂の生命の自然さを台無しにしないようにしなさい。

引用:グラマーより
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この二つのグラマーにいる人に出逢うと、偏屈、頑固、そして不自然さを感じます。自分の魂で生きていたら、秘教学をやっていても、自分があって自然体だと思います。だからこそ、そんなグラマーにいるな…と思ったら、信じていることから離れて、自分を客観視する時間が必要。また本音を伝えてくれる友の存在は、とてもありがたいー。「そんなのアホらし!」と言ってもらえたら、グラマー消散されるはず(笑)